「何をやってるんだ自分は…!」
そう思って19歳の時に突然学校を辞めた。
ずっと成功したいと思っていた。
お金さえ稼げれば全て解決すると思っていた。
成功するために必要な考えや知識を自分なりにたくさん勉強した。
そして自分なりにたくさん行動もした。
しかし自分が思い描いたような成功を手にすることはできなかった。
つまり経済的な自由を手にすることができなかったのだ。
「なぜだ…!」
「こんなに必死でやっているのに…!」
僕は悔しかった。
そして納得したくなかった。
コレを納得してしまったら、今までの自分の歩んできた道すべてを否定することになってしまう。
こんな惨めなことはない。
「何が足りないんだ。」
「自分に何が欠けていると言うんだ。」
そんなことばかりが頭をよぎり、自分の無力さに絶望した。
しかし、ある日僕は大変なことに気が付いてしまった。
そう、僕が本当に欲しかったのはお金ではなかったのである。
僕はただ認められたかったんだ。他人に。
「どんなもんだ!」
「やっぱり俺が正しかったじゃないか!」
って言いたかったんだと思う。
自分に価値を感じたかったんだと思う。
一泡吹かせたかったんだと思う。
「さすがは小松りょう…!」
そう言われたかった。
だが僕はある日もっと大事なことを見落としていたことに気がつく。
最初から動機が間違っていたのである。
そもそも「他人から認められる日が来る」なんて「幻想」だったのだ。
なぜなら、人間は常に自分のことで頭がいっぱいな生き物だからだ。
どんなに表面では他人のことを褒めていたり、逆に他人から褒められて「いやいや、全然そんなことないですよ〜」などと謙遜していても、結局は自分のことしか頭になく、全然そんな事あると思っている。
つまり、仮に自分が何らかの分野で成功をおさめ、他人から称賛を浴びたり褒められたとしても、それはただの「幻想」なのだ。
しかしその事実に僕は悲観したわけではない。
ただ、それが事実なんだと気付いただけである。
他人からの称賛や承認が幻想ならば、そんなものに価値を感じる必要は無いと思った。
むしろその事実に気が付いてから価値を感じることすらできなくなった。
なら、今の僕を突き動かしている「原動力」は何だ?
笑ってしまうかもしれないが、おそらく「好奇心」である。
他の表現をすると「楽しさ」とか「充実感」などが該当すると思う。
お金では自分の好奇心は満たせないことも薄々気が付いている。
さらに他人からの承認が必要じゃなくなったことで、ビジネスで成功できないことも何とも思わなくなった。
ここで非常に面白いことがあって、実は今の方がビジネスが上手くいっているのである。
いわゆる「執着」が取れたからであろうか?
つまり、人間は他人からの「承認」を原動力にするより、「好奇心」を原動力にしたほうが人生が上手くいくということなのかもしれない。
今日も自分の好奇心を満たすために僕は生きる。